呉楚七国の乱について

 

高祖の崩御後、妻である呂后が台頭する。呂后は呂氏一族に権力を持たせ、宮廷内から反感を買った。よって呂后の死去後、クーデターが起こり呂氏一族は粛清される。

呂后時代は一見激動的なようにみえる。しかし実際は、争いの場になったのは宮廷内のみに及び、一般の民は休息政策によって社会は安定し着実に国力は回復していったのである。

この後の文帝、景帝時代には「文景の治」とよばれる比較的安定した時代が訪れる。文帝は肉刑を廃し労働刑にするなどして、刑法を改正した。また外交面では匈奴と和親政策を行った。

「文景の治」によって国力が回復してきた。その一方で貧富の差が拡大し、地方の諸侯たちが力を付けてきたという問題が浮上してきた。景帝が即位してからは抑反政策が採られた。それによって諸侯の反乱である「呉楚七国の乱」が勃発する。