呉楚七国の乱による影響

 

この乱は漢を東西に分ける大きな反乱であったが、短期間で鎮圧された。これ以後諸侯たちは報国を支配する存在ではなくなった。群国制の実態は群県制とほぼ同じようなものとなり、漢の中央集権体制が確立された。

景帝の崩御後、武帝が即位する。武帝は地方の勢力をさらに弱めるために「推恩令」を出す。これは地方の領地を子弟に分け与えることを許し、地方で「封建制」を築かせるものであった。これにより諸侯の力はさらに弱まった。

また武帝は対外拡大政策に力を注いだため、巨額な出費となった。そこで新経済対策をとる。塩と鉄を専売し、均輸法と平準法と制定した。均輸法と平準法は価格を安定させるための策であった。

政治思想では董仲舒によって皇帝権威の絶対化がはかられた。それは君主には天命が下るという「天神感応説」をとなえ、儒学を官学化した。武帝以後、外戚と宦官の権力の握りあいとなり、儒学の家族倫理を重んじる風潮により、族的結合が強固なものとなっていくのだ。