前漢における考察②

 

北魏に入って、完全に部族制を解体し貴族国家を作っていった。これによって中国は南北朝時代に入る。孝文帝の均田制は後の唐まで採用される税制となった。また490年からは漢化政策をはじめた。主な内容は姓や言語、衣服を漢風に改め、そして南朝の制度を模して胡族種族主義から普遍主義的貴族主義に変更したのである。つまり北魏の統一は部族連合体を解体し、州群支配にすることによって、支配を中国化した。一方北魏的性格は戦闘集団共同体や軍政の形で残したのである。

 一方南朝でも国家が安定せず、貴族が官職に就きたがらなかった。軍閥と門閥の争いが繰り返し、華北から一流貴族が集団移住し、文化が花開いた。これらの人々には白籍と呼ばれる税などの特別控除される特権が与えられた。これにより南北問題が勃発する。

また九品中正法によって「上品に寒門無く下品に勢族無し」という身分階層になった。つまり貴族とは普遍主義的なイデオロギーを持ち、正当性の評価者であるのだ。そして王朝は「家」による政治支配が続いていく。

華北では洛陽に遷都してから胡族八姓貴族からの反発があった。元氏は鮮卑の文化を捨て、門閥貴族中心の世界になっている。北魏では漢化政策によって部族制を克服したが、門閥主義により支配層と共同体に乖離が生じ、軋轢を生みだすものとなったのである。

この後北魏は東魏と西魏に分裂する。東魏では北魏の門閥対北族の構造を抱えたままの傀儡政権であった。西魏も東魏とほぼ同様の制度だったが、府兵制や六官の制を用い、古主義の理念を拠り所とすることによって北魏の矛盾を解決することができた。そして能力主義の科挙をベースにした官僚登用システムで隋・唐時代のベースを作っていくのである。